2017年06月21日(水)

「主を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる」箴言14:27  



罪は苦い、辛い、苦しいものと思いがちだが、そうではない。罪に
は快楽が伴う。罪は苦いのでなく、甘く、楽しいのだ。快適で、心
地良い。罪が苦ければ、誰も罪になど誘惑されないし、これほど多
くの問題は起こらない。甘い罪への誘惑は、悪魔の策略だ。欺かれ
てしまう。

肉に歩んでいながら、それは快感であり、心地良いので、一見何の
問題も無いと思ってしまう。快適なのだ。万事うまく行っていて、
大丈夫だと錯覚させられる。実は、御心に反し、反対方向に向かっ
ていながら気づかない。死の道が、人の目にはまっすぐに見えると、
御言葉は言う。まっすぐに見えるので欺かれてしまう。

サタンの狡猾巧妙な罠であり、要注意だ。自分の目には、まっすぐ
に見えているという事であり、わきまえていよう。しかしサタンに
だまされて歩んで行くと、悲惨な結果に行き着く。それは死の道だ。
そして蒔いたものは必ず刈り取る。蒔いたものに責任を取らねばな
らない。これは法則なので例外は無い。

神から離れて、御心に反しているのに、別に問題なく、楽しいから
いいではないかと思ってしまう。しかしそれは欺かれていて、悪魔
の罠だ。後で思い知り、苦しい刈り取りをする事になる。悪魔の策
略は、人の目には、万事0K、問題無い、うまく行っていると見え
る。

もし、御言葉に反する道に行っているなら、どれだけ楽しくても、心
地良くても、すぐに方向変換しよう。そして、大切なのが、日々主と
交わる祈りの生活だ。主にとどまっているなら、間違った時には、気
づきが与えられる。方向変換ができる。
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大きな罪は解りやすく慎重に主に頼るが、日常の小さな罪の惑わしに
どれほど気をつけているだろう。日々の主との交わり、御言葉を通し
自分自身の今をいつも気づかせて頂きたい。