2017年11月21日(火)

「ある人たちはこの目当てを見失い、わき道にそれて無益な議論に走り・・」Tテモテ1:6


友人に福音を伝えていて、議論になった経験は無いだろうか。又、
信仰者同士で、議論になった事があるだろうか。ある時、青年たち
で聖書に明確に記されていない事柄に関しての議論になり、議論は
高じて気まずい険悪なムードになってしまった。ある人が平安が無
く帰宅した。

そして聖書を読んでいると「果てしのない空想話と系図とに心を奪
われたりしないように・・論議を引き起こすだけで、信仰による神
の救いのご計画の実現をもたらすものではない」と示された。議論
をして平安が失せるのは、神や信仰の衣を着て、実は「自分の正し
さ」を主張し、自己主張になるからだ。そこに自我が出て、議論の
ための議論になる。

議論になると、とにかく負けるのが悔しくて、勝ちたい。相手を打
ち負かしたい。勝つ事がすべてとなってしまう。何が目的なのかが
わからなくなる。「自分の言っていることも、強く主張しているこ
とについても理解していない」の通りだ。ここから徒党や分裂が生
じる。

私達の目標は「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て
くる愛」だ。「愛」が目標だ。「この目当てを見失い、わき道にそ
れて無益な議論に走」りがちだ。建設的意見交換は、良い事であり
大切だ。いつもその動機が「愛」であることを、しっかり確認して
いよう。
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正しさをいくら主張しても、また主張されても御心の動機から逸れ
ていくならただの自己主張で終わってしまう。無益な議論からはき
っぱりと退き、主の元に立ち戻ろう。