2017年12月22日(金)

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3 


ある人がプロジェクトのリーダーとなり、懸命に労していた。準備
に励んでいた最中に、急病で倒れ、入院という事態になってしまっ
た。別の人が代わりに立ち、取りまとめて行った。病院で処置が終
わると、静かな時が持てて祈っていた。「どうして途中でこうなっ
たのですか」と、やり遂げられず、残念な気持ちもあるがまま告げ、
心の内をことごとく祈って行った。

その時、表立って人を押しのけようとはしていないが、しかし心の
中に「自分が」「自分が」との強い思いがある事に気づかされた。
自分が上に立ちたい、前に出たい、認められたい、自分が仕切りた
い。認めたくないが、そうなのだ。「へりくだって、互いに人を自
分よりもすぐれた者と思いなさい」そのような態度も思いも無く、
心の内では、自分、自分だった。

砕かれ、教えられるためであった事を悟り、悔い改めて主に心から
感謝した。プロジェクトを成し遂げるより、もっと大切な大きな学
びを得た事に感謝できた。そして病室で、祈り手として執り成しの
祈りにあずかれた。そのため、その成功を共に喜べた。一致を妨げ
るものが、「自己中心」と「虚栄」だ。

一致が無く、秩序が乱れ、分裂が生じる時には、そこに自己中心と
虚栄がある。そして、一致に必要なものが「へりくだり」だ。へり
くだりとは、「互いに人を自分よりもすぐれた者と思う」ことだ。
私たちは神のみ思いでなく、自分のメガネと自分の物差しを持って
いる。これが自己中心であり、自分の思いに固執する。

「虚栄」とはプライドであり、自分が特別な人間だと認められたい。
様々な出来事で、主はそこを取り扱おうと教えて下さる。砕きによ
り変えられて行く。
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自分の物差しが一番正しいと誰もが思う。だから更に自分、自分と
押さえても前に出ようとする自我がある。互いにすぐれている者で
あり、互いにそういう弱さを持っていることを覚え祈っていきたい。