2018年08月22日(水)

「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています」ヨハネ10:14



主は「何も思い煩わないで・・」と、「何もいっさい思い煩うな」
と言われている。だのに、なぜ思い煩うのだろうか。思い煩いは、
目の前の事態に対して、対応できないところから生じる。つまり
は、自分が、自分の力で何とかしようとして、できないから不安
と恐れで、思い煩っている。

そんな時、何もかもが自分の肩にかかっているので、苦しくなる。
どうしていいかわからない。この目の前の辛い対人関係、あの経
済的苦境、この事、あの事、また先の事、果ては老後の事まで。
自分の力を遙かに越えている。そのため思い煩う。思い煩いから
守られるためには、底に、真の「安心感」が必要だ。

自分一人で、自力で人生を歩んでいるのではない。自分には羊飼
いがいる。自分は羊だ。その羊飼いは、すべての面倒を見てくれ
る。絶えず愛と慈しみのまなざしで、自分を見つめ、あらゆる配
慮をし、世話をし、食物を与え、どんな危険からも守って下さる。

「主は私の羊飼い」であり、良い羊飼いは羊のためにいのちを捨て
る。自分は弱い羊であり、愛なる羊飼いに守られているとの事実か
ら安心感、安らぎが来る。羊飼いは、羊に、病気、けが、傷、痛み
はないか、何かの必要は無いか、常にチェックする。そして最善の
対処をする。

もし過去に傷があるなら、主こそ癒し主だ。その傷を癒して下さる。
「心の傷ついた者を癒すために、わたしを遣わされた」。「心が傷
んでいます」とそのままを主に告げよう。「わたしは、わたしのも
のを知っている」この悩み、あの患い、心の隅々までご存じの主が
共におられる。知っていて下さるとは、何と嬉しい事だろう。
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思い描く結果しか見ていないと祈っても、全てを負って心配は尽き
ない。そんな主を見失った迷子の羊でも、主は見ていてくださる。
主の声を聞き主と歩もう。