2019年04月21日(日)

「主よ。その通りです。ただ、子犬でも食卓から落ちるパンくずは いただきます」マタイ15:27


異邦人の母親、娘が悪霊につかれていて、必死の思いで、主に助け
を叫んだ。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんで下さい」。この
全身の叫びに、求めに答えられる主は、応じて下さるのではと思う。
だが何と主は「一言もお答えにならなかった」。沈黙されたままだ。
無視された状態だが、彼女は諦めず、尚も叫び続けついて来た。弟
子たちは、余りの様に、帰して欲しいと主に願った。

それに答えて「わたしは、イスラエルの羊以外のところには遣わさ
れていない」と。すると彼女はそれを聞いて「ダビデの子」を抜い
て、尚も、ひれ伏して求めた。カナン人はイスラエルではない。
「ダビデの子よ」と言う権利は無い。彼女はへりくだって正しい位
置に立った。

すると次に主は「子どものパンを子犬に投げてやるのはよくない」
と言われた。何と冷淡なと思いそうだが、そうではない。主は、彼
女が正しく求められるように、導いておられた。彼女は、主の前に
へりくだった。「主よ。その通りです」と認めて「小犬でも食卓か
ら落ちるパンくずはいただきます」と求めた。

主は必ずあわれんで下さると信じたからこそ、決して引き下がらず
諦めなかった。小犬がもらえる恵みを願った。その時、娘は直った。
そして主は彼女の立派な信仰に驚かれた。主のあわれみを、愛を、
主の力を信じたからこそ、ひるまずに求める事が出来た。求めが自
分の頑張りでなく、どこまでもへりくだる態度と、主への信頼であ
った。

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拒否されたかに見えても、その通りですと、どこまでもへりくだっ
て、求め続けた。決して引き下がらず、諦めなかった。それは、主
が必ずあわれんで下さると信じたからだ。信じなければ求めないし、
途中で止めてしまう。これを立派な信仰と、主は感嘆された。