2019年06月21日(金)

「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちで す」ヨハネ6:63



ある人が、非常に苦しい辛い状況にいた。身動き取れない厳しい状
況だった。その上に、経済的苦境や対人関係の問題も起きて、もう
いっぱいいっぱいで、心に何の余裕もなく、聖書を読むことも祈る
事もできなかった。実は自分が拒否していたのだが。なぜ自分ばか
りがこうなのか、自分は祝福されていないと、心を屈折させていた。

周囲が心配してくれているのはわかるのだが、皆が幸せそうに見え
て、反発心まで出て来る。自分のカラの中に閉じこもり、周囲をシ
ャットアウトし、教会にも行かなかった。心の屈折が、自分でどう
にもならなかった。そんな中、心配して信仰の友が家に来てくれた。
突っ張った態度しか取れない、情けない自分だった。相手の言う事
に反抗ばかりしてしまう。

だが心にはもう一人の自分もいた。こんな自分のためにわざわざ来
てくれて、申し訳ない、有難い。心を頑なにしていて、平安は全く
無かった。これでいいはずはない。だが状況は苦しい。ぼろぼろで、
グダグダな心を主に向けた。

その時、御言葉が心に響いた。その翌日、牧師夫人からの手紙を受
け取ると、全く同じ御言葉があった。もろに主を感じ、主からの自
分への言葉と受け取れた。主を信じようとせず、すねた、曲がった
自己中心な心を悔い改めた。信じて行こうと思えた。立ち返れたの
は、やはり周囲の祈りと御言葉だった。御霊からの言葉は、霊であ
りいのちであり、力だ。

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苦しい時、落ち込む時、主のひと言葉が、新しい力を与え立ち上が
らせてくれる。又、迷う時、どうしてよいかわからない時、主の言
葉で光が臨み、御心へと導かれる。御言葉はいのちだ。何度も生き
返らされた。主がいつも共におられ、御声をかけていて下さる。耳
を澄ましていよう。