2019年08月22日(木)

「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための計らいとなさいました」創世記50:20



あなたには思い出すと影を落としてしまう、過去があるだろうか。
大きな失敗をしてしまった、又、深い痛手を負った、被害に会った
・・。過ぎ去った過去は決して変えられないが、しかし、そこに主
を見て、意味を見い出す時に、過去が変わって来る。人の悪意によ
って、受けた傷があるだろうか。父親から偏愛されたヨセフは、兄
たちから激しく妬まれ、エジプトに売られてしまった。

家族から離され、独り、異国の地へ。それも奴隷として。どんなに
孤独で、不安と恐れにさいなまれた事だろう。しかしヨセフは主に
すがった。投げやりにならず、くさらず、主を仰いだ。奴隷に売ら
れた先で忠実に働き、主人からの篤い信頼を得た。しかしその妻か
ら無実の罪をかぶせられ一転投獄に。奴隷より悪い囚人となったが
そこでも主を仰ぎ、忠実に仕えて模範囚になった。

紆余曲折を経て、結果的に総理大臣となり、大変な饑饉の中、一族
を呼び寄せ、一族の命を救う事になる。ヨセフは兄たちの悪意によ
って、売り飛ばされたのだが、しかし主に視点を置く時に、一族の
命を救うために先に自分をエジプトに遣わされたのだと。だから自
分をエジプトに行かせたのは、兄たちでなく、「実に、神」なのだ
と。

「あなたがたは、私に悪を計りましたが」とはっきりと兄たちの悪
意に言及、しかし神はそれを良い事のための計らいとされた。人か
らの悪意による傷であっても、又、自分の失敗であっても、主に視
点を置く時、そこに意味を見い出す事ができ、過去が意味を持った
ものと変えられる。主からの訓練と受け止める事ができる。
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表面的には最悪としか思えなくても、これも主からのものと見てい
くなら、一日一日も主が支えて導いてくださる。そしてそれは必ず
良いことのための計らいであったと言える日が来る。