2019年10月22日(火)

「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです」Tヨハネ4:19



私たちは、日常生活でどうしても寒暖計になってしまう。相手が暖
かければ、こちらも暖かくなり、親切であれば、こちらも親切に。
好かれるとこちらも好意を持ち、相手が冷たければ、こちらも冷た
くなる、批判的であればこちらも批判で返し、嫌われると、こちら
も嫌う。相手に、周囲に「反応して」生きてしまう。

だから相手に正比例の反応を返している。しかし愛なる主は、決し
て反応される事は無い。こちらがどうであれ、全く変わらない愛で
愛し続けて下さる。不変の愛だ。なぜなら神のご性質が愛だから。
その愛は無条件だ。無条件の愛というのが、なかなかわからない。
この世には条件付きの愛しか無いからだ。例えば、母性愛は尊く、
子供のためには、自分の命すら投げ出す。

見返りを求めない、無償の愛だ。だが、他人の子にも同様に出来る
かというと、できない。そして主はそんな私たちの弱さをご存じの
上で、愛して下さっている。主の愛は無条件だ。もし何かをしたか
ら愛されるのであれば、条件付きになってしまう。無条件の愛、一
方的に与える無償の愛、犠牲の愛、報いを求めない愛、その主の愛
をまず知る事から始まる。

御言葉から、日常の様々な出来事を通して御霊は、私たちに主の愛
を教え導いて下さる。まず自分自身が主の愛を受け取る事から始ま
る。そして主と交わり、その交わりを深めて行く中で、主からの力
によって、人を愛して行ける。まず神の愛が土台だ。
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ああしてくれたから、こうして欲しいからと、何処まで行っても自
分のための愛しか持たない者ではないか。このような者が無条件に
神から愛されている。この恵みを覚えて、それゆえに人を愛する者
になりたい。