2019年12月22日(日)

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者 を救われる」詩篇34:18



ある信仰者が言った「私は10年ほど特別な集会の度に教会へ足を運
んでいました。教会や聖書は嫌でなく抵抗も無く、聖書のお話も聞
いていました。でも、幾ら聞いてもわからないというか、全然理解
できなかったです。今思えば、自分の価値観を固く持ち、決して放
さず、その上で聞くので意味がわからなかった。

でも嫌ではなく集っていました。信じる事が出来たのは試練が来た
からです。自分ではどうにも出来ない苦しい問題にぶち当たりまし
た。瀬戸際で心底助けが欲しくて、その時に初めて目が開かれまし
た。自分の無力を知る時に、心開いて素直に聞けるんですねえ。ビ
ンビン御言葉が響いて入って来て。ほんとに自分が砕かれないと、
御言葉や神様の事はわからないですねえ」。

人は、御言葉を聞く時に、この世の価値観をもって理解しようとす
る。だから「そんな事、到底信じられない」「そんな事を言ってた
ら、現実世界では生きて行けない」「御言葉はそう言っても、むし
ろ真逆だと思う」「弱さが恵みなど有り得ない、強くならないと」
「自分が頑張らないと誰がやる」「委ねるなどと、そんな事をした
ら、何のかもだめになってしまう」・・。

世の価値観、自分の思いが強く、御言葉が入らない。意識はしてい
ないが、御言葉をシャットアウトしてしまう事になる。それが自分
の無力を知る時に、不思議に心が開かれ、心に入って来る。そして
振り返ると、主に出会えて、一番近かったのが、あの苦しみの時、
となる。

・・・・・・・・・・・
試練の時には、御言葉がビンビン心に響き、心にしみ入る。御言葉
が食物となり、御言葉によって生きる事を身をもって知り、経験す
る。心砕かれる時、主がわかる。主が近い。砕きは非常に痛いが、
大きな祝福の時だ。