2020年06月21日(日)

「人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理 解できようか」箴言20:24 



私たちの人生は、「主によって定められる」とある。主が定められ
ているなら、決められているなら、努力がいっさい不要とか、将来
の計画は無意味とか、そういう意味ではない。主の愛と配慮による
支配があるからこそ、目標に向かって努力できるし、主と相談しつ
つ将来の計画を立てる事ができる。

又、自分の人生なのだから、がむしゃらに自分が頑張るしかない、
すべて自分にかかっているのだから、というのでは無い。主が私た
ち一人一人の人生に最善のご計画を持たれ、自分の力ではなく、御
霊の力によって歩む人生だ。

しかしながら、それはすべて自分の思い通りの道というわけではな
い。振り返っても、思い通りでない事の方が多いのではないか。そ
んな時に、不確かな揺れ動く自分の思いでなく、主が自らの歩みを
定めて下さっていると知ると、安堵と平安にされる。

そして人は自分の道を理解できないと言っている。私たちは、ほん
の数分先の事もわからないし、将来は全く見えない。ただ現在が見
えるだけだ。だから想定外の事態は幾らでも起きる。先の事はわか
らないから。しかし自分には見えないが、先もすべて見通しておら
れる、主が共におられるなら、そこを信じて歩むなら、どんなに平
安だろう。自分にはわからない先が、主の御手の中にあるとは。

そして気持ちを受け止めて下さる主に、どんな時でも祈る事ができ
る。私たちの想定外の事が起きるが、主の想定内だ。そんな時こそ
落ち着いて、静まって、主を仰ごう。

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本当に人は、自分の道を理解できない。先の事は全くわからないし、
想定外の事が起きる。しかし主は先をご存じで、私たちの人生のす
べてをご存じだ。そこに立つ時に心は平安にされる。そしていつも
「恐れるな」と語られ、必ず歩むべき道へと、手を取り導いて下さ