2002年11月20日(水)

「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです」(Tコリント3:12)

というのは、その日は火とともに現われ、この火が
その力で各人の働きの真価をためす・・とある。
イエス・キリストを土台にして、その上に建築物を
どのように建てるかについて、よくよく注意する必要
がある。かの日にそれらはすべて、火によって試さ
れるからだ。その火は地獄の火ではなく、さばきの
火だ。キリストを持たない者は、すべて自らの罪に
対して永遠の罰を受ける。自ら犯した罪の報いだ。
クリスチャンは地獄へ行くことは決してないが、
その働きをさばかれる。木、草、わらで建てたもの
はすべて焼かれて失せて無くなってしまう。あなた
は日々、どんな建物を建てているだろう。木、わら
草とは、神の栄光のためでなく、自分の栄光、自分
の賞賛、自分の快楽、自分の欲望のために、自分
の力でなしたことだ。それらはすべて燃え尽きてし
まう。神の栄光のために、神に頼ってしたことが
永遠に残る。報いを受ける。常に私達の動機は
どうだろう。