2020年11月21日(土)

「すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのとこ ろに行かれた」マタイ14:25



主は弟子たちを「強いて舟に乗り込ませ」とあり、主が彼らを「強
いて」「強制的に」向こう岸へ行かせられた。夕方に、沖へとこぎ
出した。その途上で嵐となり、波と風で荒れ狂った。何も見えない、
夜の真っ暗闇での嵐は、どんなに恐怖であった事だろう。

この時、弟子たちは強制的に送り出されたのであり、主は嵐に会う
事をご存じで、つまりは、試練に会わせられた。信仰人生で試練は
避けられない。風雨も日照りも飢饉もある。人生には順境と逆境が
あり、信仰者にも逆境は必ず来る。それは世の人々と同じだ。だが、
どこが違うのか。その嵐のまっただ中に主が共におられる事だ。

必ず嵐に会うが、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはな
い」との主がおられる。試練のまっただ中で、不安と恐怖の中にい
る時、「わたしだ、恐れるな」との主がおられる。何と力強いこと
だろう。その主は、荒れ狂う湖の上を平然と歩いておられ、私たち
の問題や悩み、困難の上を歩いておられる。

ある小さな女児が、薄暗い二階におもちゃを取りに行くのが、恐く
て仕方なかった。親に、下で見ているから大丈夫だと、幾ら言われ
てもだめで、恐い。その時父親が「よしパパが一緒に行こう」と言
った時に、全く恐れと不安が消えた。私たちの平安は、問題が無い
事ではなく、どんな悩みの時にも、主が共におられることによる。
ここに全き平安がある。

・・・・・・・・・・・
御言葉は様々な箇所で信仰人生に試練があると言う。砕かれ練られ、
主のかたちへと造り上げられる。試練を受け止めて行けるよう祈ろ
う。平穏無事で、問題の無い事が平安だと思うが、どんな時にも
「わたしだ」と主が共におられ事が、平安だと教えられて行く。