2021年11月21日(日)

「・・神のわざがこの人に現われるためです」ヨハネ9:3



主は、道の途中で生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは、誰の
罪によるのかと問うた。本人か、両親かと。主は本人でも両親でも
無い、神のわざがこの人に現われるためと答えられた。主は地面に
つばきをして、泥を作り、盲人に塗られた。そしてシロアムの池で
洗うようにと。

彼はその通りにすると、目が見えるようになった。彼は「何でつば
きを?」「何でシロアムなのか?」と納得できる説明を求めたわけ
でなく、ただその通りに、言われた通りに従った。叉、「今まで見
えなかったのに、そんな事をして何になる」と思えば、はなから行
かなかったろう。

目が見えない中で、シロアムにまで行くのは大変な労力だ。今まで
聞いた事のない愛と希望に満ちた主の言葉に触れ、従ってみようと
思ったかもしれない。言われた通りにすると、奇跡が起きた。彼は
それが誰であるのか知らなかった。パリサイ人に問い詰められ、最
初は「イエスという方」再度問われ「預言者」と答えた。

そして「神から出ておられる」と。その時、彼らは、彼を会堂から
追放した。主が彼を見つけ出し「信じるか」と問われると、彼は
「主よ」と答え「私は信じます」と信仰告白し、主を拝した。

「シロアム」は「遣わされた者」との意味で、それはイエス・キリ
ストのことで、神から遣わされた救い主だ。彼が肉眼だけでなく、
霊の目が開かれて、主を信じた事が、「神のわざがこの人に現われ
るためです」、真の神のわざであった。

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主に出会えたこと、主を信じる者とされたこと、改めて大きな神の
わざであり、自分に現わされたことが、何と驚くべきことだろう。
感謝しかない。彼は言われた通りに従った時に、見えるようにされ
た。今、従うべき事があれば、一歩踏み出そう。