2022年08月22日(月) 「イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔 し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して」マタイ27:3
「イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔 し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して」マタイ27:3
ペテロもユダも、主を裏切った。しかもペテロは三度も主を否み、 呪いをかけて誓ってまで否んだ。どちらも同じく裏切ったのだが、 最後は天と地ほどに違った。ペテロは、主の全き赦しを受け取り、 主の愛により回復させられ、主の昇天後、諸教会のリーダーとし て活躍した。 片や、ユダは、主を銀貨30枚で売り、「罪のない人の血を売った」 と後悔し、祭司長、長老たちのもとへ行った。その銀貨を返した が、 「私たちの知ったことか」と言われ、首をつって死んでしまった。 ペテロとユダ、何と違ってしまった事だろう。ペテロは裏切ってし まった時に、主に向き、主の言葉に向いた。 その時、主の言葉に思い当たり、号泣した。マリヤの、主のご遺体 が無いとの知らせに、墓まで走った。主のガリヤラへ行けとの指示 に、合わせる顔もない中、しかし指示に従いガリラヤへ行った。ユ ダは悔いた時、主のもとでなく、律法学者のもとへ行った。 主を求め、主に頼らず、自分で決着をつけた。「自分で始末せよ」 これは悪魔の攻撃で、誘惑だ。どこまでも主に頼らせない。私たち にも誘惑が来る。自分で何とかしなければ・・。失敗した時に自分 で考え、自力で・・。その時、担いきれない重圧に押しつぶされ、 絶望感におおわれる。 そうでなく「わたしのところに来よ」と絶えず招いて下さっている 主もとへ、まず行こう。罪の赦しが与えられ、回復が与えられ、解 決がある。主の平安へと導かれる。 ------------ 十字架があるのに、失敗すると何とかしようと焦り、サタンに煽ら れ主から遠くに行ってしまう。失敗を繰り返すが、私達にはいつも 帰る十字架がある。なんと感謝なことだろう。ペテロとユダの箇所 にいつも学ばされる。