2023年01月22日(日)

「主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真中のかわいた地 にしっかりと立つうちに・・ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わ った」ヨシュア3:17



出エジプトから、ついに約束の地を目前にして、とうとうと水が溢
れるヨルダン川に来た。橋も、船も無い。又、丁度、雪解け時で水
かさが最大限だった。どうすれば良いのか。人間の力では渡る事は
不可能だ。主が、渡る方法を示された。ヨシュアに主の言葉が臨ん
だ「主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、水の中にとどまると、川
の水がせき止められ、せきをなして立つようになる」と。

祭司たちは契約の箱をかついで、ヨルダン川に足を踏み入れた。そ
れは、自分の背丈よりも深い川だ。足の裏が水中にとどまると、川
の水がせき止められるとの、主の言葉だけが頼りであり、保証だ。
先に、水がせき止められてから、渡るなら何の問題も無い。

しかし現に水が岸一杯に溢れている時に、足を踏み入れるのは、信
仰なくして、恐くて出来ない。何も目に見えない中で、御言葉を信
じて、御言葉を頼りに、一歩を踏み出すことが信仰だ。主が先頭に
立たれる。そして祭司が一歩を踏み入れた時に、奇跡が起きた。主
の言葉通りに、水がせき止められ、せきをなして立った。

その中を民は無事に渡りきった。私たちはどうだろう。少しでも見
えたなら、従おうと思ってしまう。新しい事を導かれた時にどうだ
ろう。時間は?労力は?力量は?体力は?と不安で仕方が無い。し
かし、示しに、御言葉頼りに一歩踏み出すと、すべての必要が備え
られている事を発見する。今、ヨルダン川を渡ろうとしているだろ
うか。見えない中も、一歩踏み出して従おう。

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目の前の状況が厳しいと、圧倒されそうだ。御言葉は進めと言う。
水中に入った時に、水がせき止められると。御言葉がすべてであり、
御言葉だけが頼りだ。見える所でなく、御言葉の方を選択できる
よう、自分を明け渡せるよう、祈ろう。御霊の助けが臨む。