2023年03月22日(水) 「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありま せん」ヨハネ4:14
「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありま せん」ヨハネ4:14
暑い日中に、一人の女性が井戸に水汲みに来た。皆、涼しい夕方に 来るのだが、彼女は隠れ、人目を避けていた。その時、主が話しか けられた。男性のユダヤ人がサマリヤ人に話す事など無く、非常に 驚いた。主の「わたしが与える水を飲む者は決して渇く事がない」 に、彼女は「その水を欲しい」と願った。 よくわからないが、汲まなくてもよいのなら欲しいと。すると主は 「あなたの夫を呼べ」と。文脈がつながらず、水がなぜ夫なのか? 彼女は不可解であると同時に、グサリ!と心刺されたろう。最も触 れられたくないデリケートな部分だ。そして、今、いるのは夫でな く同棲相手だ。「私には夫はいない」とかわした。 だが主は「その通り。夫が5人いたが、今いるのは夫ではない」 と。ズバリ言い当てられて、ひどく驚いた彼女は「あなたは預言者 か」、「ユダヤ人は礼拝する場所はエルサレムだと言うが、どうな のか」と問うと「誰でも、どこでも真の礼拝者が父を礼拝する、そ れが今来ている」と。 彼女が「キリストが来られる事を知っている」と言うと「わたしが それだ」と。主を信じた彼女は、町の人々に「来て、見て」と、主 を紹介した。隠れていた彼女が、町へ出て行き、180度変わった。 主は、永遠の命に導くため、痛い核心を突かれる。私たちにも痛い 部分があるだろうか。そこに来て頂こう。 赦し、いやし、真の平安と喜びへと導かれる。自分自身が変えら れ、自由にされる。そして真の礼拝者とされる。彼女の心を知り、 渇きをいやし満たすために、サマリヤを通られた主は、あなたの心 をもご存じだ。 ---------------- 主の御言葉によって隠していた所に光が当たる。普段は言い訳で隠 していた部分を照らされるのは痛いが、闇から光へ主が導き入れて くださる時だ。豊かな渇くことのない恵みを受け止めよう。