2023年07月22日(土)
「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」マタイ 6:13
私たちが罪を犯した時はどうだろう。悔い改めるなら、主は十字架 の血潮により、どんな罪でも赦して下さる。無罪放免とし、二度と その罪を思い出さない、「あなたがたの罪が緋のように赤くても、 雪のように白くなる」と言われる。何という驚くべき恵みだろう。 しかし、何をしてもどうせ赦されるのなら、いいではないかと、安 易に罪を犯すならどうだろう。 「善を現わすために、悪をしようではないか」と、「もちろんこの ように論じる者は、当然罪に定められる」のであり、決して恵みを 放縦に変えてはならない。罪を侮り、軽く見て、もてあそんではな らない。主は罪を赦して下さるが、蒔いたものには、必ず刈り取り がある。傷害事件を起こすなら、法律に即して、罰を受け、刑務所 に入る事になる。 罪は、主により赦されるが、蒔いたものを刈り取り、償なわねばな らない。対人関係で、害を与えたなら、悔い改めにより、赦される。 だが相手に謝罪し、償いをし、関係修復への努力が必要だ。罪は、 相手も自分も、周囲をも、思う以上に深く傷つける。決して恵みを 放縦に変えてはならない。 だからこそ、「私たちを試みに会わせないで、悪からお救い下さい」 と祈っている必要がある。この祈りが不可欠だ。私たちは救われた が、肉の性質がまだあるので、弱さのゆえに、罪を犯してしまう。 そのために祈っていなくてはならない。肉に来るサタンの誘惑から 守られるよう、いつも祈っていよう。 ・・・・・・・・・・・・・ 主が飛んで、ぼおっ~としていると肉で歩んでいる。放っておくと 自分が中心になり、自分の思いで歩んで行く。絶えずサタンが主か ら離そうと働いている。だからこそ、主に拠り頼み、祈っていよう。 主を仰いでいよう。主は助けて下さる。