2023年09月21日(木) 「キリストは・・ののしられても、ののしり返さず、苦しめられて も、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりまし た。」Tペテロ2:23
「キリストは・・ののしられても、ののしり返さず、苦しめられて も、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりまし た。」Tペテロ2:23
ある人が、職場で上司との関係で、苦しんだ。暴言に、嫌がらせ、 理不尽な扱いを受けた。一緒に祈っていたクリスチャンの先輩が、 慰めようと「辛かったねえ」と声をかけた。すると彼は「はい、祈 らされました。こんなに祈った事はありません。自分は悪くないの にと、怒りと悔しさしかなくて。そんな中、主の十字架が迫ったの です。 完全に正しい方が、十字架にかかる必要の無い方が、あの十字架で 苦しまれ、命を捨てられた、その事に目が開かれました。今まで頭 でしか、わかっていなかった事が、初めて心でわかりました。主の 姿を通して自分の姿が見えました。その時、主にいっさいをお委ね できて、今、平安が与えられています。もう感謝しかありません」 と答えた。 彼には正当な言い分があり、主張があった事だろう。しかし信仰に 立った。自分で自分を守ろうとせず、又、自分で状況を動かそうと せず、すべてを正しく導き、裁き、成し遂げられる方にお任せした のだ。ダビデもサウル王から理不尽な扱いを受けた。サウルの一方 的な妬みにより、命をつけ狙われた。槍をダビデ目がけて投げつけ られた事もあり、どこまでも追撃された。 ヨセフも、エジプトで主人から厚意を受けたが、その主人の妻によ り、身に覚えの無い無実の罪で投獄された。しかし、ダビデもヨセ フもそんな中で、反撃するので無く、御父に自らを委ねて行った。 そして彼は、主により、神の時に、ふさわしい解決を与えられたの であった。 --------------- ののしられたら、ののしりたいと感情的になってしまうが、それは 御心ではないと知っている。思いは乱れても祈ることが出来る。 主に助けを求め、事の全てを知っておられる方にすべてを委ねてい こう。