2024年01月22日(月)

「そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連 れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた」 ヨハネ6:15



主が、5千人の給食の奇跡をされた後、それを見た群衆は、主を王
にかつぎ上げようとした。だが主は、大勢の群衆が主を信じると言
い、主について来て、主を追いかけ回しているのは、主ご自身を求
めての事ではないと言われた。しるしを見て、そこに霊的な恵みを
見、神を見て、この方こそ主キリストと信じ、ついて来たのでない
と。

パンが欲しくて、そして更なるパンを求めて満たされたい。自分の
願望が満たされたいがゆえに、ついて来ていると。満腹とは、自分
の欲望が満たされる事であり、自分の満足、自己実現だ。自分の喜
び、自己満足を得たいばかりで、そこに主がまことの神である事
や、永遠の恵みを見る事はない。主は、「求めよ」と言われる。そ
して豊かに私たちの祈りに答え、私たちの必要を満たして下さる。

しかし気をつけていないと、私たちの祈りは、ひたすら自分の欲望
充足だけに向かってしまう。その手段となってしまう。そしてそう
であれば、欲望が叶えられないなら、遅かれ早かれ、大勢の群衆の
ように、主のもとを去る事になる。主は、そんな私たちをあわれ
み、主の御心へと導くために、時に、思い通りでない答えが来る。
よく考えさせ、動機を探らせ、省みさせて下さるためだ。

又、「ノー」の答えがあり、すぐに叶えられない祈りがある。その
中で心を探り、取り扱い、主の御心に適った者へと変えられ、成長
させて下さる。思い通りにならない状況は、受け入れ難いが、しか
し実は大きな恵みだ。その時こそ、主に近づき、主のお心を尋ね求
めよう。動機が探られ、祝福と成長へと導かれる。
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すぐに叶う祈りもあれば長く祈らされる祈りもある。祈りの中で主
から導かれるその時々の気持ちの変化こそ恵みだ。主との交わりが
喜びで今日を歩める。