2024年03月22日(金)

「 あなたがたは言った。『いや、私たちは馬に乗って逃げよう。』 それなら、あなたがたは逃げてみよ。『私たちは早馬に乗って。』 それなら、あなたがたの追っ手はなお速い。」イザヤ書30:16


ある人に突如大きな問題が起きた。大変な事になったとパニック
だ。いつも学んでいるようにまず祈るのだが、祈っている最中も、
心は座しておらず、立ってしまっていて、「どうしよう〃どうすれ
ば良いか」と頭はぐるぐる巡り、心臓はバクバクで、方策を懸命に
考えている。祈りではなく、あれこれ〃と頭を巡らすばかりだ。

主を待ち望む事など無く、自分が立ち上がってしまっている。その
ため平安など全く無く、不安で〃たまらない。段々と最悪の結末の
シナリオまで鮮明に浮かんで来る。不安と恐れ、思い煩いでいっぱ
いだ。そんな心が暗く重い数日が過ぎ、余りにも苦しくて、主に叫
んだ。

その時、「やめよ」「わたしこそ神であることを知れ」「立ち返っ
て静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、
あなたがたは力を得る」と語られた。そして自分はまさに「いや、
私たちは馬に乗って逃げよう」と言っている者だと。心騒がせるば
かりで、何とかしようとしている、自分の姿を見せられた。

そのため、何もかもが自分の肩にかかるので、荷は重く、焦り、恐
れ、不安しかない。「やめよ」「静まれ」「わたしが神だ」「わた
しに信頼せよ」と言っておられる。問題に飲み込まれ、問題しか見
えておらず、主が見えていなかった。

口先で祈り、自分が動き回っていたことに気づかされた。祈りにお
いて、主に問題を持って行くように導かれた。不安しか無かった心
に、初めて安堵が与えられた。
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祈っても、祈っても気持ちが伴わない。与えられる結果が、自分の
思いと違うのが怖い。平安のない祈りをよく経験する。主に手渡せ
ない事を認めて、その思いを祈っていこう。