2024年05月22日(水)

「それは、彼がこう言ったからである。「私は自分の手の力でやっ た。私の知恵でやった。私は賢いからだ・・」イザヤ書 10:13


日々の中で、思い煩いが増す時、心が重く、何かイライラして落ち
着かない時、つまり平安が無い時があるだろうか。それは「神の力
強い御手の下にへりくだれ」との示しがあるが、その神の御手の下
から出てしまっている。そこを出て、自分の力と思いの中にいるだ
ろうか。そのため平安が無く、思い煩いやいら立ち、不安に襲われ
る。

自分の思い通りに進むのだが、うまく行かず、あちこちに頭をぶつ
け、周囲ともぎくしゃくする。ふと我に返り、自分が主人になって
いる事に気づく。底にある肉は、どこまでも自分を誇りたいし、認
められたい、評価されたい。主の御前にへりくだる時、平安が戻
る。時に経験するかもしれない。水は高い方へは決して流れず、低
い方〃へと流れる。

主の恵みはへりくだる人に、溢れるばかりに流れる。高ぶった途端
に、恵みが止まる。主が飛んで、自力で歩もうと、自分に頼ってい
る時、高ぶりに気づく度に、悔い改め、へりくだろう。山歩きに原
則があり、山で道に迷うと、迷った地点にまで引き返す事だと。
だが、なかなか難しく、引き返す労力をいとい、又、何とかなると
思い、進んで行き遭難してしまう。

霊的生活もそのまま行かずに、立ち止まり、主を仰ごう。へりくだ
りは肉が一番嫌う事だと言われる。又、それは神と人への「ごめん
なさい」だ。プライドはその一点を回避したい。今、へりくだる事
を示されているだろうか。神と人の前にへりくだりを祈ろう。溢れ
る恵みにあずかろう。
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全てを自分自身のものだと思っている事にさえ気づけない者だ。
主に気づかされたら感謝だ。どこからでも初めに戻れる。溢れ
る恵みは主からの賜物、主にささげて歩みたい。