2024年10月22日(火) 「枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことが できません・・あなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を 結ぶことはできません」ヨハネ15:4
「枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことが できません・・あなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を 結ぶことはできません」ヨハネ15:4
私たちは、心に安らぎ、平安があるだろうか。いつも山積みの仕事 に、なすべき事に追い立てられ、イライラ、ピリピリしているだろ うか。しかし何かをしていないと、動いていないと不安で、何かを する事で、心の充足を得ようしているだろうか。何かをする事で安 心感を、充足感を得ようとするなら、それは忙しいのではなく、自 分が忙しくしている事になる。 止む事ない仕事や趣味や、奉仕を自分で取り込み、取りつかれたよ うに、のめり込む。だが、何かをする事で満たされるのではない。 主は仕事や奉仕で、充足感を下さるが、それはあくまでも結果であ って、満たされるために行うのではない。私たちに満足が与えられ るのは、何かをする事ではなく、主にとどまる事によってだ。 「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝」「わたしにとどまりな さい。わたしも、あなたがたの中にとどまります」とどまるなら多 くの実を結ぶと。そして、「わたしを離れては、あなたがたは何も することができない」。自分の力では、御霊の実を結ぶ事ができな いと。主を離れて、肉であれやこれやと動き回っても、結局、何の 実も無い。 今、焦りやいら立ち、疲れがあるだろうか。重荷に感じているだろ うか。自力で頑張っていないか、行ないで満たされよう、認められ ようとしていないだろうか、まず立ち止まろう。主と交わり、主の 憩いに帰ろう。そこから平安が来る。そして主の平安の中で、主と 共に行動して行く時に、豊かな実を結んで行ける。 --------------- 今、何かで満足を得たとしても、祈りに答えてくださった主を認め ていなければ、信仰は枯れてしまう。主に留まっていよう。御言葉 と御霊に導かれ主の深い平安に守られる。実を結んでいこう。