2024年11月21日(木)

「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったまま でいてはいけません」エペソ4:26


日常生活で、様々な怒りを経験する。怒りには二種類あり、すべて
の怒りが罪なのではない。主も怒られた。正しい怒りがあり、悪に
対する怒りだ。主はパリサイ人の偽善に怒られた。「忌まわしいも
の」偽善の律法学者」「白く塗った墓」「蛇ども、まむしの末すえ」
と。又、神殿で商売をしている事に、ひどく怒られた。

罪を憎まずして、主を愛する事は出来ない。神を愛するとは、罪を
憎む事だ。そして、二つ目の怒りは、肉の怒りだ。マルタは、主へ
のもてなしで、食事時刻も迫る中、ピリピリイライラした。マリヤ
が手伝わずに、座している事に怒りがわく。私たちも、時に経験す
る。日常の様々な局面で、あの事、この事に、怒りがわく。

こんな肉の怒りは、どうすればよいのだろう。まず、自分の怒りを
認める事が大切だ。怒っていない振りをしてはいけない。しばしば
怒りは良くない事と、心に抑え込んでしまう。しかし抑え込まれた
怒りは、無くなるのでなく、そのままそこにある。その怒りは溜ま
り上げて行く。

それが容量オーバーになると爆発する。又、心の病気になってしま
う。怒っている事実を認め、怒りの原因を考えてみる。なぜ怒り、
自分の何に触れるのか。プライド、虚栄心、名誉、体裁、思い通り
にならない事か。自我から来る怒りだろうか。その怒りは、感情的
なままで表現すると、相手を傷つけ自分も傷つき、必ず後悔する。

まず人ではなく、自分でどうこうでなく、主に助けを求めよう。主
に怒りを、気持ちをそのまま告げよう。祈ると、全く違って来る。
祈りに、主が働かれ、関与して下さる。導いて下さる。
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怒りも主に向かって告げるなら祈りになる。主に知っていただき、
主と交わり委ねていこう。御霊は導いてくださる。すぐに傷つき、
腹もたてる者だが、主が聞いてくださる。何と感謝だろう。