2025年02月19日(水)

「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思い なさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなた がたは知っているからです」ヤコブ1:2



主は、私たち一人〃に試練を与え、訓練して下さる。私たちの益の
ため、霊的成長のためだ。だが訓練として受け取らなければ、痛い
だけで何も学べない。逆に、心を屈折させ、反抗しひねくれてしま
う。何度も試練を通っても、成長が無い事があり得る。それは自我
が砕かれていない事による。

この自我を取り扱われるために、訓練を与えられる。嫌な相手を目
の前に送られる。相手にも非があったりすると、自分を正当化し、
相手が悪いとしか見えない。相手のせいで自分は苦しいと思い、ま
すます憎しみが募る。そして心の中で相手を責めて行く。しかし自
分の心に平安が無い。

その辛さをも、相手が悪いせいと思ってしまう。この状況を去らせ
て欲しいと、幾ら祈っても答えが無い。状況も、相手も、自分も、
全く何も変わらない。祈りが聞かれず、状況も変わらず、段々と、
「もしかして、これは自分の問題?」と気づき始める。相手でも、
状況でもなく、自分の内に砕かれない頑ななものがある。強い自我
に気づく。

「私を変えて下さい」の祈りにたどり着く。そして御心にかなった
祈りは聞かれる通り、この祈りは聞かれる。変わらなかった自分自
身が、変えられて行く。苦しかった心に平安が来て、解放される。
成長へと導かれて行く。
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自分を変えてくださいの祈りができる事は祝福だ。試練の渦中は辛
いばかりだが、主に頼りながら試練を通っていこう。どんな中にあ
っても主が最善に導いてくださる。