2025年05月22日(木)

「『この人は大工ではありませんか。マリヤの子で・・その妹たちも、 私たちとここに住んでいるではありませんか』こうして彼らはイエ スにつまずいた」マルコ6:3



主は、郷里ナザレに行き、安息日に会堂で教えられた。御言葉を読
まれ、「わたしの上に主の御霊がおられる・・貧しい人々に福音を伝
えるようにと。捕らわれ人には赦免を、盲人には目を開かれ事を、
虐げられている人を自由にし・・」素晴らしいみわざだ。そして「今
日、聖書のこのみことばが、実現した」と。

何千年も前からの預言が実現し、メシアが今、ここにいると。それ
を聞いた人々は、主の口から出る恵みの言葉に驚嘆し、主をほめ讃
えた。しかし同時に、「この人は大工ではないか」「マリヤの子で、
兄弟も私たちとここで住んでいる」と人々はつまずいた。ナザレは
小さな村で、どう見ても主はヨセフの子で、大工としか見えず、信
仰の対象などでは無かった。

そのため、主からの御言葉を受け入れられない。「ヨセフの子」
「この人は大工」の言葉は、人々の心から恵みを奪い、消した。メ
シヤとして受け入れないので、御言葉が受け取れず、信仰が生じる
事が無かった。預言者は、自分の郷里では歓迎されないと、人々の
不信仰に嘆かれた。

私たちも、どうだろう。自分の価値観、肉の見た目、判断によって、
御言葉を聞くなら、受け入れる事ができない。肉の思いと判断が優
先し、御言葉を打消し、捨ててしまう。そこに気づけて、御言葉に
立てるよう、御霊により気づきが与えられるよう、いつも祈ってい
よう。
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自分の価値観や直感が大切な主の御言葉の邪魔をする。主は何を語
られているのだろうか。素直な心で聞きたい。豊かな御言葉の意味
を知り、悟れるように祈りつつ御言葉に向かおう。