2025年06月21日(土)

「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足さ せるようなことはありません」ガラテヤ5:16



肉と御霊が出てくるが、「肉」とは、肉体の事でなく、神なしで生き
る性質だ。それは高慢であり、神に反抗し、真理を憎み、罪を求
める性質で、神に敵対する生活原理だ。肉は、改良するもので
はなく、捨て去るべきものだ。「肉によって生まれた者は肉です。
霊によって生まれた者は霊です」。初心者の頃、肉が、改良されて
霊になって行くように、勘違いするが、そうではない。

肉が、霊になる事はない。どこまでも肉は肉、霊は霊だ。全く別
のものだ。新生した時に、新しい性質を受ける。それは神の性
質だ。しかし、肉もまだ置かれていて、且つ新しい性質も宿すの
で、私たちの内に「二つの性質」がある。霊と肉の二つが葛藤
する中で、成長が与えられて行く。肉で歩むと、そこに戦いがな
い。自分の好きなように歩むので、葛藤が起きない。

しかし御霊に従って、歩もうとする瞬間、肉との戦いが生まれ、葛
藤が生じる。肉は御霊に逆らい、御霊は肉に逆らう。この二つは
対立し、自分のしたい事が出来ないと言っている。例えば、嫌な
相手がいると、肉はずっと嫌っていたいので、肉で歩むと葛藤は
ない。ところが御霊により、歩もうとすると、相手を愛するように言
われる。

すると肉と御霊の導きが、対立して、そこに大きな葛藤が起きる。
パウロも経験した。善をしたいのに、したくない悪を行なう。善を
したいのに実行できない。本当にみじめな人間だと。そして苦し
んだパウロは、解決を得た。自分の力でなく、御霊によって歩む
ことだと。御霊に歩めるよう祈ろう。主が一歩一歩取り扱い、御
霊の歩みへと導いて下さる。

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「私の肉のうちに善が住んでいない」とパウロが言ったが、肉に
は善は無い。どれだけ頑張っても、善は無い。そこを認めて
主に頼る時に、御霊の力によって、善を行なわせて下さる。
御霊によってのみ、従って行くことができる。