2025年07月22日(火) 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれで あなたのおきてを学びました」詩篇119:71
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれで あなたのおきてを学びました」詩篇119:71
試練は痛く、辛く、苦しい。そのため試練に会うと「なぜ?」「ど うして?」と不満、愚痴が出る。しかし主は、「あなたを苦しめ、 あなたを試み、その命令を守るかどうか、あなたの心の内にあるも のを知るため」と。主が「苦しめ、試みる」と言っている。「苦し みに会う前には、あやまちを犯し・・しかし今は、あなたの言葉を守 る」と、人は強情で、自分を正当化する者だ。 だが苦しみにより、自分の本当の姿を見せられ、砕かれる。自力に 頼れず、主に頼るしか、なすすべが無いことを経験する。主に拠り すがって行く。その時、初めて真に主を知る。拠り頼む事の意味を 知る。幸いな経験だ。涙の谷を過ぎる時も、その中で主に従って行 くなら、必ずそこが泉の湧く所となる。祝福とされる。人は皆、試 練に会う。思い通りにならないから、試練なのだが、その時に、二 つの選択がある。 心を屈折させ、反抗し、不信仰に陥る事もできるし、又、主からの 訓練として、しっかり受け止める事ができる。自らの選択だ。そし て必ずその結果を刈り取る。訓練として受け止めるなら、測り知れ ない益を得る。平安の実を結ぶ。後に「苦しみにあったことは、私 にとって幸せでした」と必ず言える。苦しみは私たちを、更に主に 近づけてくれる。ついには、あなたを幸せにするためだ。 ------------ 避けたり、逃げられない試練でようやく主に向き合える。今、思え ば、試練はすべて主による取り扱いで祝福だったと言える。主に新 しく出合い、試練の中にある主の平安も知れた。