2026年04月21日(火)

「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。 主を」詩篇27:14


信仰生活で、「時」に関して学ばされる。「神の時」がある。
「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時
がある」と。すべての事に「神の時」がある。そしてその「時を待
つ」ことが、極めて厳しい。試練に感じる。すぐに結果が欲しいの
で、待てない。だが待つことによって、信仰が試され、練られ、培
われて行く。

それは待つ時間を通してであり、待つこと無しには不可能だ。アブ
ラハムは、子どもを授けるとの約束を与えられたが、待ち続ける事
ができず、自分の力で奴隷によりイシマエルをもうけてしまった。
しかしその後に、アブラハムが100歳の時に、ついに神の時が到来し、
神の約束は見事に実現した。息子イサクが与えられたのだ。しかし
その時は、「自分のからだは死んだも同然」であり、サラの胎は死
んでいた。

だが「それを認めても、信仰は弱らなかった」。反対に信仰がます
ます強くなって、神は必ず約束を成就されると堅く信じた、アブラ
ハムは失敗した後、神を信じ、神を信頼し、神に望みを置いた。神
は、奇跡のみわざをされた。同様に、神を待ち望む時に、私たちを
通して、神のみわざを成して下さる。

もし自販機にお金を入れると、即、飲み物が出て来るように、即、
結果が出て来るなら、目に見えたなら、私たちは信じる必要が無く
なる。信仰によって歩まない。「待つ」期間を通して、信仰が試さ
れ、神に委ねることを訓練されて行く。信仰が鍛えられて行く。
神に委ね、信頼する時、時間は問題で無くなって来る。神への信頼
と忍耐を培って下さる。
----------
待つことは難しくすぐに結果が欲しいが、主が全てを支配している
事を知っている者は幸いだ。期待して待ち望める。信仰をもって、
望みをあたためながら、主の時を待とう。