2026年08月22日(土)

「アブラハムは・・自分のからだが死んだも同然で あることと、サラの胎の死んでいることとを認めて も、その信仰は弱りませんでした」ローマ4:19


アブラムは75歳の時に、主の示しに従い、カラ
ンを出てカナンの地に移り住んだ。しかしずっと
子が無く、エリエゼルを相続人に、と考えていた。
その時に主は、そうでなく、あなた自身から生ま
れ出る者が、跡継ぎとなると言われた。主は、満
天の星を見せ、子孫はこのようになると。アブラ
ムは主の言葉を信じた。

主は、その信仰を彼の義と認められた。約束は
受けたのだが、ずっと子どもは生まれなかった。
その中、妻サライの申し出で、女奴隷によりイシ
マエルを得た。86歳だった。だが、それは肉で、
自分の思いで行なった事だった。その後も、状
況は何も動かず、見えない中、99歳の時、主が
再び現われ、子孫を与えると。

100歳になり、ついにイサクを得た。アブラムは、
常識ではもう不可能な中、見えるところでなく、
主ご自身を信じた。望みえない時に、望みを抱
き信じた。見えたなら信仰は必要ない。見えない
ものを信じるから信仰だ。それは状況でなく、主
を見続ける信仰だった。

アブラムには数々の失敗があったが、「信仰の
父」と言われ、主はその「信仰」を喜ばれた。あ
なたも今、厳しい状況だろうか。何も動かず、
見えないだろうか。まず、自分の不信仰を認め
て、「胎の死んでいることを認めても」、見える
ところでなく、主の言葉の方を選択し、そこに立
てるよう、助けを求めて祈ろう。御霊が与えて下
さる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
常識や経験値、見える所で行動するのでなく、
主の言葉に聞いて従うことが信仰だ。見える所
に強く影響受け、自分の思いを優先させてしま
いがちな中、御霊の助けを仰ごう。祈ろう。