2004年03月22日(月)

『すると、仰せになった「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか」(創世記3:11)



 善悪を知る木の実から取って食べて、罪を犯したアダムとエバに、神は悔い改めの機会を与えて下さった。「食べました。私が悪かった、ごめんなさい」と言う事が出来た。アダムがそう言えば、エバは「いいえ、先に食べた私が悪いのです」と言っただろう。しかし、アダムは更に悪い事にエバに責任転嫁をした。この女が悪いと。あなたが私のそばに置かれた、と神が悪いと言わんばかりだ。エバは蛇が悪いと責任転嫁をした。だました蛇が悪いのだと。蛇を造った神が悪いと言わんばかりに。自分の犯した罪を認めない。姦淫と殺人を犯したダビデであったが「私は主に対して罪を犯した」と自らの罪を認め悔い改めた。罪赦される恵みは何と幸い。
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歳とともに言い訳や責任転嫁の方法をうまく身につけて行くのではなく、クリスチャンは、ますます、自分の罪に対して敏感で、神様に対して正直でなければならない。