2004年07月22日(木)

「私たちをあなたがたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です」(Uコリント1:21)



 何の働きもなしに、神の一方的なプレゼント、恵みによって救われる。ところが救われた途端、恵みは吹っ飛んで、自分の力で良い行いを始めるのだ。救いは恵みだが、その後のクリスチャン生活は自分の努力であり、頑張りにかかっていると勘違いし、懸命に頑張る。頑張っている自分は辛くしんどいので、他人が努力していないと批判しさばく。ギスギスしたとげとげしいおよそクリスチャンとはほど遠い冷ややかな空気を周囲に漂わせる。しかも、自分は正しいと思い込んでいる。自分の力での信仰生活は必ず挫折しひずみが出る。自分の力が虚しくされ、聖霊の力によって歩む時、平安と喜びが来る。神に信頼し神と歩調を合わせて歩む歩みは喜びの生活だ。
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自分の力で頑張っているときと、聖霊の力によって歩んでいるときは、心の状態がまったく違う。心に平安が無く愚痴っぽくなっているなら、御霊に満たされているときのいきいきとした喜びをもう一度思い出そう。