2004年09月20日(月)

「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てるものは、あわれみを受ける」(箴言28:13)

罪は必ず告白しなければならない。そうするなら赦される。罪は神と私達の間を断絶させる。エデンの園で、罪を犯したアダムが神から隠れたように。神はアダムに悔い改めの機会を与えられたように、悔い改めに導いて下さる。しかし、アダムは悔い改めを拒否し、エバに罪の責任転嫁をした。私達はそうであってはならない。又、口先だけで罪を認めても、それは悔い改めではない。罪の結果が恥なので不名誉な事なので、結果が悪いと思うだけだ。決して認罪による悔い改めではない。光の中を歩まない限り、罪はわからない。認識不可能だ。聖霊によるものだからだ。隅々まで光に照らし出してもらい罪を認めようではないか。豊かに赦される。
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結果が恥ずかしく、体裁悪いので悪いと思うだけなら、それは聖霊による悔い改めではない。本当は心の底では悪いとは思っていない。体面が、人前が悪いだけだ。聖霊の光がある時、神が見ておられるように自分を見ることができる。光によって真の悔い改めが与えられる。