2004年12月21日(火)

「話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた」(ルカ24:15)







二人の弟子達は、予め告げられていた主の復活を信じる事が出来ず、主の死後、失望落胆、絶望で故郷に引き揚げる。もし信じていたらエルサレムにとどまっていたはずだ。その弟子達に主ご自身が近づかれる。二人に質問し、彼らは絶望と共にもう終わった事として、イエスの死を告げる。彼らの問題点が不信仰にあると、主は助けの手を延べられる。「信じない、心の鈍い人たち」と。御言葉を正しく解き明かし、彼らの信仰を今一度、奮い立たせて下さる。「私達の心の内は燃えた」もっと聞きたい、もっと一緒に過ごしたいと、二人が一緒に泊まるようにとせがんだ時、主は彼らの目を開いてご自身を彼らに現された。信仰は御言葉から来る。主から近づいて下さる事は慰め。
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御言葉を読んで頭で知っていても、心で受けとめていない事は多い。エマオ途上の弟子達のように、主に目を開いてもらわなくては、御言葉を心で受けとめる事は出来ない。