2005年05月22日(日) 「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実をきない」(ヨハネ15:5)結びます。わたしを離れては・・何もすることがで
「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実をきない」(ヨハネ15:5)結びます。わたしを離れては・・何もすることがで
主イエスはぶどうの木、私達は枝だと言われた。 枝がぶどうの木につながっているだけで、木から 養分が流れ込み、自然に豊かに実を結ぶ。しか し、もし枝が木から離れていたら実を結ぶ事は 不可能だ。私達はどうだろう。生活が快適に順 調に行っている時は主にとどまり、主と共に歩 むが、都合の悪い事が生じると主から離れて、 主と共に歩まず、自分で歩むのだ。特に自我 が砕かれるような痛い、辛いところを通る時は、 主を避け離れて自分の道にそれてしまう。主に とどまって砕かれるのが痛いのだ。自分の都 合の良い時はとどまり、都合が悪くなると離れ る。痛い時も辛い時も常に主にとどまろう。そ の時、キリストを現わす物に造り変えられて 行く。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 逆境では叫び求めるが、悩みの無い時に離れ る事もある。又、失敗した時は恐れで、試練には 反抗して離れる。どんな時も逃げないでとどまろ う。その時、大きな深い愛に包まれている事を知る。