2005年10月22日(土)

『そこでイエスは彼らに「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい」と言われた』(マルコ6:31)

祈りが壁に向かっていると感じる事があ
るか。神が天の遠くに感じ、聞かれてい
ると感じない。それは純粋に心身の極度
の疲れによる事がある。又、御霊によら
ず、自分の力で動き回り、悪戦苦闘し
疲労こんぱいしてしまう事もある。又、エ
リヤがバアルとの激しい戦いの後、心身
消耗しきった、そんな事もある。神は決し
て責めもとがめもされず、まず休息せよ
と言われている。死を願ったエリヤに神
がされたことは悔い改めを迫った事では
なく、食事を与え深く眠らせ休息させられ
た。神は恵み深く憐れみ深い。聞かれて
いないと思っても、神は確かに祈りを聞
いていて下さる。何も見えず感じない中
でこそ、信仰が必要だ。その信仰を神
は成長させておられるのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
人間には心身に許容量があり、限界があ
る。限界越えると壊れてしまう。心身共に
休息は必要だ。許容量オーバーになって
いたら、「主と共に休む」事だ。再び霊
にも身体にも新しい力が来る。