2006年02月19日(日)

「善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは神に喜ばれることです」(Tペテロ2:20)

攻撃を受けた時、不当な扱いを受け
た時、自分を守り反撃するのは、この
世では普通の事だ。しかし、侮辱を受
けても穏やかに応ずるなら、それは主
の対応だ。私達は相手に反応するの
ではない。それなら温度計だ。相手が
激するなら、こちらも激し、相手が冷や
やかなら、こちらも冷ややか、相手が
暖かければ、こちらも暖かい。相手の
温度を、そのまま正確に表わす。そう
ではなく、私たちは神の御心を行うの
だ。相手が親切であれ、冷淡であれ、
こちらは親切を表し続ける。ある人
の父親は酒が入ると、人が変わった。
暴れ、暴言を浴びせた。しかし、神に
出会った母親は、祈りに祈り、神に
従い、どんな時にも、神のみこころを
行い、夫に親切であり続けた。それを
見て育った子供達は、今幸せなクリス
チャンホームを築いている。温度計
でなく、神の御心を行なう者にされたい。
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何と正確に温度計をしている事だろう。
この世と何の変わりもない。相手がどう
であれ、状況がどうであれ、反応するの
でなく、神の御心を行えるように祈ろう。
死をも飲み込む、いのち受けているゆえに。