2006年03月22日(水) 「ろばの子がいるのに気づくでしょう。それをほどいて、わたしのところへ連れて来なさい・・「主がお入用なのです」」(マタイ21:2)
「ろばの子がいるのに気づくでしょう。それをほどいて、わたしのところへ連れて来なさい・・「主がお入用なのです」」(マタイ21:2)
昔、ろばというのは、謙遜や柔和の象 徴とされていた。主はろばに乗られ、 エルサレム入場された。有用な立派な 軍馬でなく、力も無く、経験も無いろ ばの子を用いられた。私たちは無力で 何の経験も無くて構わない。私たち はろばであり、主が乗られるのであり、 主をお乗せするだけだ。乗っていただ けるとは、何と光栄なことだろう。あ なたを主は用いて下さるのだ。「ほど いて」連れて来なさい。自分のしたい 事、自分の思い、欲望、古い価値観に 縛られているか。名誉、地位、富への 執着、人から良く思われたい欲、自己 満足、プライド、それらにつながれて いるか。縛られているものをほどいて、 主のもとへ行くのだ。あなたをつない で、引き止めているものは何だろう。 よく心探って頂こう。主はあなたが 入用だ。それらからほどかれて、主 のもとへ行こう。主に用いて頂けると は何という喜び。主と一つだ。 ・・・・・・・・・・・・ 私達はろばであり、主が乗って下さる。 主が成し遂げられ、私達はお乗せする だけだ。しかし大きな喜びにあずかれる。 主は入用だと言って下さる。つなぎ止め ている頑なな心が何であるのかよく探 ってみよう。