2006年08月22日(火)

「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから契約の箱を・・持って来よう。神の箱は奪われ・・」Tサムエル4:3



偶像礼拝とは、自らを悔い改めて、
へりくだり、神との関係を正そう
とするのでなく、神を自分の願望
のために利用し、神を自分の思い
通りにしようとする事だ。
それが偶像礼拝の本質であり、私
達の心と生活に、そのような事が
無いだろうか。御言葉を聞き、自
らの間違いを認め、悔い改めるの
でなく、神を自分の都合のために
連れ出す。ペリシテに敗北した結
果、民はご利益を期待して、契約
の箱を持ち出した。契約の箱さえ
持ってくれば、勝てると思ったの
だ。しかし、民は、更にペリシテ
に大敗北を帰した。
神礼拝は、御言葉に示された、自
らの罪を悔い改め、主イエスの血
潮に頼り、赦しを求める事だ。
偶像礼拝は、神を自分の願いを叶
え、自分の都合を満たし、自分の
思うご利益を与えてくれるものと
して、信じる事だ。自分の幸せと
願望のために神を持ち出し、神を
利用する事だ。そこには、神に対
する畏れが無い。根本的に御言葉
への姿勢の問題だ。自らを御言葉
の上に置くか、それとも下か。
-----------------------------
生活の中で、自分のしたいことは
全く変えず、ただ欲しい物のため、
やりたい事のためだけに祈ってい
る・・そのようなクリスチャン生
活ではないだろうか。今日一日、
素直に捧げて歩んでみよう。