2006年09月21日(木)

「父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼をいだき」ルカ15:20





彼は莫大な父の遺産を湯水のごとく
無駄にした。しかし彼が無駄にした
のは富だけでなく、自分自身をもだ。
自分を損ない傷つけボロボロにして
しまった。自分のした事であり、す
べて自分の責任だ。彼はどん底まで
行き絶望した。どんなに自分が無力
で惨めで裸であるかを思い知った。
実は皆そうなのだが、様々なもので
自分をだましだまし生きている。
自分の惨めさを認めたくないので、
仕事、愛する人、趣味、あらゆるも
のに走り、心を埋めようとごまかし
ている。自分ではどうにも出来ない
壁にぶち当たった時に、初めて自分
の本当の姿を知る。弟の帰還で兄の
心もあらわになった。初めからあっ
たものが現われ出たのだ。
マザー・テレサが「本音に気づいた。
私が愛していたのは、他人ではなく、
他人の中に実は自分を愛していた事
実に」と。惨めで哀れで裸である事
実を人は知らないまま生きている。
目が開かれてそれに気づく事から始
まる。自分の惨めさを知った時に、
かわいそうに思い、走り寄って抱い
て下さっている神を知る。 
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醜い自分、汚い自分を認めていける
のもすべて神様の憐みだ。何も学べ
ず、何も認めない者に何の未来があ
るだろう。本当の自分の姿を知って
、更に深く神様を知って行けますよ
うに。