2006年10月22日(日)

「胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ・・あなたがしらがになっても、わたしは背負う」イザヤ46:3

主は私達を母の胎内にいる時から担って
下さっている。又、生まれる前から運ん
で下さっている。そして年老いてもずっ
と背負い、私達の一生を背負うと。途中
でだめになったからと背負う事を止めら
れたりしない。私達が自分を委ねる以前
に、すでに担って下さっているのだ。一
生涯、年老いても何の心配も無い。私達
が神に委ねるというのは、神が下さる環
境が、自分の思いや計画と違っても、神
を信じて受け入れて行くという事だ。人
生のすべての道筋において、そこに神を
認めて、神が導かれた道を歩んで行く事
だ。そこには必ず平安と喜びがあり、そ
こで豊かな実を結んで行く。神の道は、
しばしば自分の思い通りではない。思い
とは違う。高くて深く、思いもよらない
道の事がある。意に反しつつも、それを
受け入れ、歩んで行く時に、まさに自らの
人生を神が担い、運んで下さっている事
実を知る。
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全くこの通りではないだろうだ。主に明
け渡した時、自分の思いに無い人生に導
かれたが、それは神の御心の人生であり、
神ご自身に担われ運ばれている人生であ
る事を、平安の中で心底実感している。