2007年01月22日(月)

 「彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。」ヨハネ8:9 




 主は、姦淫の女を「石打ちの
刑に」と訴えるパリサイ人や律
法学者達に「罪の無い者が、石
を投げよ」と言われた。すると、
石を投げる者がいなかった。つ
まり、彼らは内側が照らされた。
自分を見た。そして、罪を認め
たのだ。真実が現わされようと
していた。本当の自分の姿に正
面から向き合うのか、それとも
逃げるのか。彼らは逃げた。
主に導かれて、自分の罪を見た
のに、それに向き合おうとせず
に。全員逃げた。しかし、女は
逃げずに、そのままそこにいた。
さばきからも逃れようとせずに、
どうなろうと、主のもとにとど
まった。自分の罪から逃げずに
認めたのだ。その時「罪に定め
ない」との赦しを受け取った。
私達はどうだろう。逃げるのか、
それとも向き合い、自らの罪を
認め、悔い改め、新しい歩みを
始めるのか。目をそらし逃げる
なら、闇の中に陥って行き、ま
すます見えなくなる。罪が見え
るなら、光が臨んでいる証拠、
悔い改めよう。平安と癒しが来
る。
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罪のない者、過ちを犯さない者
などいない。罪を示されたなら
心から神様に祈ろう。自分の罪
、心の底の底を示された時、同
時に赦しが待っているとは何と
いう感謝か。