2007年04月21日(土)

「イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。『よくなりたいか』」ヨハネ5:6


余りに長く悪い状態が続くと、しば
しば諦めてしまうものだ。何度やっ
てもダメだった。もうこれからもダ
メだろう。ダメに違いない。段々と
確信に近いものになって来る。そん
な状態の人に、主は「よくなりたい
か」と聞かれた。「出来るか」では
なく、「そうしたいか」だ。自分自
身がよくなりたいと願わない限り、
問題の解決は無いという事だ。彼は
答えた。自分には、介助者がいない。
いつも他の人が池に入って行って、
癒される。それは介助者がいるから
だ。彼は38年間この思いでいたの
だろう。自分には助けてくれる人が
いない。だからだめなのだ、だから
不幸なのだ。人のせい、環境のせい、
心に思いを溜め込んだ人生だったろ
う。人依存、責任転嫁でしかなかっ
た人生を、主は自分の足で立って歩
む人生に導かれた。私達はどうだろ
う。諦めてしまい、甘んじてしまっ
ている現状があるか。まず願いすら、
主に向ける事に萎えてしまっている。
何度やってもダメだった。気力が失
せて、求めさえも失せてしまってい
る私達に、そんな状態から「よくな
りたいか」と御声をかけておられる。
介助者の問題でなく、あなた自身の
問題だ。あなたはどう応答するだろう。
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何かに依存し、逃げていたくて、自分
に向き合うのが嫌で、よくなりたくない
のかも知れない。主の愛に触れ、主
に向き合う時、よくなりたいとの願いが
起こされる。