2007年06月21日(木)

「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光をもつのです」ヨハネ8:13

ある婦人の証しだ。結婚し、二世帯同居
だった。毎日顔を合わせると、考え方、感
じ方の違いに、何かとギクシャクする中、ど
うしても姑が義妹と自分への扱いが違う事
を感じ、心に、こんなはずではない思いがふ
つふつと湧いて来る。義妹に対し、冷やや
かな態度になってしまう。クリスチャンなのに、
平安どころか、いら立ちと焦り、嫉妬心で
悶々状態だった。心が苦しく、切羽詰まり、
祈りに祈っていた時に、むち打たれ十字架
に釘付けにされている主が、強烈なインパ
クトで心に臨んで来た。自分の罪が、主を
十字架につけたのだと迫り来た。今まで頭
の理解でしかなかった御言葉や十字架の
実際が、初めて自分の事として受け取れた。
涙の悔い改めが与えられ、赦しを受け取っ
た。すぐに、姑と義妹に今までの悪い態度と、
嫌な思いをさせた事を謝罪した。心のすみ
ずみまで平安で満たされ、感謝で溢れた。
自分を主に近づけるために、徹底した悔い
改めを与えるために、この事態を送って下
さった事がわかった。信仰生活で、様々起
こる事柄は、私達を主に近づけるためであ
り、恵みを味わわせるためだ。痛い出来事が
必ず益とされる。
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あの痛みがあったから、主のもとへ来れた。
この痛みのゆえに、主にすがり、拠り頼めた・・。
いい加減な、中途半端な者を、主に近づける
ためにこの事があった。もしあの事が無かっ
たら今頃・・。主を知る事は何にも代えられない。
感謝しかない。