2007年09月21日(金)

「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう」創世記28:15



ヤコブの名は「押しのける者」の
意味であり、そのような人であっ
た。狡猾な策略で、父と兄を欺き、
長子の権と祝福を奪い取った。兄
の激怒を招き、殺されそうになり、
逃避行に出た。家族から離れ、寂
しさと孤独、いつ追っ手が来るや
も知れない恐怖と不安、日が暮れ
野宿した時に、神が語られたのだ。
もう一度生まれ故郷に帰れると。
とても信じられないような事だっ
たろう。しかし、ヤコブはそれを
信じた。全く見えるところは異な
り、むしろその約束が否定される
ような状況で、何一つ目には見え
ない、その中で約束を信じること
が信仰だ。見えないものを信じる
ことが信仰だ。見えたなら、信仰
は必要ない。アブラハムもその信
仰により義とされた。神がヤコブ
を選ばれたのは、行ないによって
ではない。品行方正で正しかった
からではない。彼はずる賢く、自
分のために人を押し退けて奪う者
であった。神がそのようなヤコブ
を愛されたのだ。彼が最も無力で、
不安で、孤独で、恐れとおののき
にあった時に、神は御声をかけら
れた。「わたしは、あなたに約束
したことを成し遂げるまで、決し
てあなたを捨てない」と。最も弱
い時、無力の時こそ、神が近く臨
んでいて下さる。無力の時こそが
大いなる恵みの時だ。自分の力が
失せた時に、初めて神を見る。弱
さの中にこそ、神の力が完全に現
れる。弱さは恵みだ。
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自分は信仰の弱い者、無力の者と
知ることが本当に恵みだ。一人で
一時も立っておれないから神様を
呼び求め祈れる。そこからはじめ
て神様に支えられる日々が始まる。