2007年11月21日(水)

「ダビデは言った『私は主に対して罪を犯した』ナタンは言った『主もまたあなたの罪を見過ごしてくださった・・」Uサムエル12:13

人生には問題がつきものだ。様々な
悩みやトラブルがやって来る。問題
が問題なのでなく、問題に対する態度
が問題だ。誰かのせいにしているだ
ろうか。「自分に腹を立てさせた相
手が悪い」式だろうか。「相手がそ
ういう言葉を発さなければ、自分は
怒らないのに」これ式なら、常に自
分は悪くなく、すべて相手が悪い。
しかし、神の御前に生きるとは、自
分の責任を取るという事だ。痛い事
だけれど、自分の責任を見据えて行
く時に、初めて自分の罪を知る。そ
して自分の罪を認める時に、主の血
潮で赦される。完璧な赦しだ。その
赦しを受け取る時、大海のような平
安が来る。アダムはエバに責任転嫁
し、エバは蛇に転嫁した。そのアダ
ムからの古い性質が私達の内にある。
自我は責任転嫁したい。しかし、そ
うするなら、決して自分の罪が見え
ない。だからいつまでたっても成長
がない。神に向き、自分に向く時、見
たくない罪が見える。痛くて辛い。だ
が、自らが赦しの恵みを経験して初
めて人を赦す者とされる。ダビデは
人の見える所で身体を洗っていたバ
テシバも悪いとは言わなかった。罪
に責任を取る事が悔い改める事だ。
ダビデは苦しみから解放され、どんな
に心が楽になった事だろう。
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悔い改める時、まず心が楽になる。
罪を犯してしまうが、赦されて、赦さ
れて、赦され続けて生きて行けるのは、
何という恵みだろう。何と嬉しく幸せ
な事だろう。