2008年04月19日(土)

「道ばたにおちた種があった。すると、鳥が来て食べてしまった」マタイ13:4

道ばたとは、踏み固められた土地で、
それは固い心のことだ。固い心とは、
自分の思いや先入観、偏見で一杯の心
だ。自分の思いを通し、御言葉が入り
ようがなく、御言葉が来ても、跳ね返
してしまう。サタンが御言葉を持ち去
り、御言葉が心に植わる事がない。種
が入らない限り、成長と結実は不可能
だ。クリスチャンになった後も、まず
「霊的クリスチャンはこう〜」「信仰
者はこうすべき〜」との自分の先入観、
イメージがあって、その思いに現実を
はめてしまう。それなら自分の思いに
従って生きているのであり、御言葉に
よって生きているのではない。そうで
なくて、まず現実をしっかり見る必要
がある。そこから祈り、神の御声に従
って行く。自分の先入観と思いはそれ
を妨げる。御言葉によらず、自分のイ
メージと自分の思いで、神とは〜、御
心とは〜、クリスチャンは〜と思って
いる。その自分の思いに現実をあては
め、それは御言葉によらないため決し
て成長がないし、神を知る事もない。
御言葉の種が心に入り、御言葉を生き
て行く時、初めて実を結ぶ。私達は、
自分の思いでなく、世の価値観でなく
御言葉を生きて行く者だ。その命であ
る種が心に宿らないので、いつまでた
っても霊的成長がない。自分の思いで
生きていて、自分の思いがあるばかり
だ。自分の状態はどうなのか、振り返
ってみよう。
・・・・・・・
クリスチャンとはこう〜とのイメージ
は単に自分の思いであり、そこに霊も
命も無い。御言葉に霊と命がある。御
言葉でなくイメージで生きていないか
よく点検してみよう。