2008年05月22日(木)

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」ルカ22:42

神は私たちに、祈りの中で、自
分の気持ちや自分の思いをある
がまま、自由に打ち明けるよう
にと言って下さっている。主イ
エスもそのように祈られた。で
きるものなら、この杯=十字架
を回避したいと祈られた。きれ
い事ではなく、口先の薄っぺら
な言葉ではなく、本心をそのま
ま祈られた。苦しみもだえられ
た。その苦しみの様は汗が血の
しずくのように地に落ちたと。
苦しみもだえられる様を、弟子
たちに隠されなかった。ご自分
のあるがままの姿を見せられた。
十字架を回避したいが、しかし、
みこころの成就を祈られた。私
たちも自分の強い思い、願いが
あり、それが主のみころと違う
方向に向いている時、みこころ
に従うことは決して簡単ではな
い。痛みや苦しみや非常な困難
を伴うだろう。自分に死んで、
自我を断ち切って従う必要があ
る。自分の思いは強く、自我は
強固だ。だからこそ、祈らなく
ては従えない。きれい事ではな
く、自分の本音を告げよう。主
ご自身がそのように教えて下さ
っている。本音を告げて、御心
を選び取れるよう祈ろう。本心
からのその祈りを主は必ず聞い
て下さる。自分を捨てて、みこ
ころを選び取って行く時、素晴
らしい主のみわざが成し遂げら
れる。自分の欲望の満たしが満
足ではなく、あなたを通して、
主の計画が成し遂げられ、主の
みわざを拝する事が、あなたの
真の満足ではないだろうか。
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自分の思いのままに祈りながら
神様は祈りの中で、私達の思い
を砕いて行って下さる。祈りの
中で御心に従いたい思いへと変
えられて行くことが感謝だ。