2008年08月12日(火)

「あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです」Uコリント6:12

私たちは、自分で自分の心を狭めて行
く。人から狭められるのでなく、自分
でどんどん狭くして行く。自分の罪を
認めなかったり、御霊の導きを無視し
たり、なおざりにしたり、御霊の促し
を拒み続けると、心が固くなってしま
う。自分の側で心を閉ざしてしまうの
だ。すると、ますます人に耳を傾ける
事ができなくなり、自己中心の自我の
殻にとじこもり、批判、非難、攻撃的
になり、誰も自分をわかってくれない、
自分は可哀想の自己憐憫に陥る。建設
的、前向き、信仰的な心の態度が失せ、
心を屈折させて行く。ネガティブな思
いに支配されてしまう。そうすると、
分裂や不一致を引き起こして行く。救
いに至る悔い改めへと導かれるには、
必ず自分の「罪」に、向き合わなくて
はならない。しかし、人は自分の非を
認めたくない。人に悩みの相談をする
のも、解決を求めてというよりは、自
分の気持ちに同意して欲しい。解決で
なく同意を求めて気持ちを楽にしたい
だけだ。しかし御言葉は、真の解決を
与えるために、手術し膿みを出すため
に真実を明らかにする。だが、自分の
真の姿は見たくない、余りにも痛い。
だから耳をふさいでしまう。しかし平
安と喜びに至る道は、とにかく「耳を
傾ける」事だ。どんなに痛くても耳を
傾け、御霊の導きに従う事だ。
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日常で、ネガティブに物事を見ると、
全然祝福が見えなくなる。全く見えな
い。見事に見えなくなる。真っ暗闇だ。
経験するところではないだろうか。現
状を「感謝」してみよう。そこから信
仰の領域に入れられる。