2008年09月21日(日)

「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって・・」Uテモテ4:3

ある人が聖書セミナーに出席した。数
日間、御言葉の学びが続けられた。す
ると、その中で講師は毎回、罪につい
て語った。罪がいかなるものか、悔い
改めの必要性、罪から離れなければな
らない事、又、自分を否み、自分に死
ぬこと。毎回、自分の罪が刺され、罪
深さが見せられた。気が重くて、聞く
のが嫌でたまらず聞きたくなかった。
しかし出席者たちは真摯に受け止め、
感謝し喜んでいた。グループ別の交わ
りで、自らの罪が示され、悔い改め喜
びに溢れて感謝している人々と接っし
た時、目が開かれ気づかされた。自分
は、神に愛されている事、自分が高価
で尊い事、自分の人生には価値があり
自分は有用であり・・そんな事が聞き
たいだけなのだと。自分中心の信仰に
気づかされた。自分に都合の良い、心
地良い言葉だけが聞きたい、ただ愛さ
れている事だけを聞いていたい、幼子
の信仰なのだと。自分で聞きたい言葉
を決めているわけで、それなら、それ
以外の言葉は決して入って来ない事に
なる。まさに「真理から耳をそむけ、
空想話にそれて行く」ことになると気
づかされた。大きな気づきを与えられ、
悔い改め、新たにされた。私たちも聞
きたい言葉を決めていないか、心地良
い言葉だけを求めていないか。主が、
私に語られる言葉を受けて行こう。本
当の喜びを味わう。
・・・・・・・・・・
自分で聞きたい御言葉を決めていない
か。心を探ってみよう。それなら他の
御言葉は入らない。真理から離れ、空
想話になる。自分の思いを捨て、今一
度、真摯に御声に耳を傾けよう。