子供を通して神様への出会い


 私は、厳格でしつけに厳しい、教育熱心な家庭で育ちました。ですから、いつもいい子でありたいと、この小さな身体で努力しました。
結婚後すぐ、父を癌で亡くしました。父の最期は我慢強く、威厳のある死でしたが、平安がありませんでした。

穏やかな優しい夫と、二人の子供と、犬と一緒に、これといった悩みもなく、幸せな生活を送っていました。
この間も、良い妻、良い母でありたいと、いつも頑張っていました。
どこの家庭でもそうですが、息子も思春期に反抗がありました。

時を同じく、娘の学校で、聖書を学ぶ会が月1回あり、聖書に初めて触れました。
詩篇23は、言葉に言い表わせないほど、心にしみ渡り、安堵感と温もりを感じました。
一方、息子は、進学の事、ユニークで型にはまらない性格が、巻き起こす様々な事、気の重い日々でした。

ある日、「一体、僕を何にしようと思うん?」と、息子が叫びました。
映画のワンシーンのように、足元がガラガラと崩れる思いでした。
子供のためという思いから、世の中の価値観に翻弄されて、周囲との比較の中で、子供を追い立てていました。
私が窮屈だなと思って、育てられてきたのと同じ事を、息子にもしていたのです。
自分の行動や態度を、選択できるはずなのに、潜在意識の中で、私の育った環境を繰り返していました。 私は、大きな間違いをしていました。罪を知りました。

それからの生活は、御言葉が私の価値基準となりました。暖かく見守る事を覚えました。
祈りも必要でした。又、祈らずには、いられませんでした。

1年半前、主人の転勤が決まりました。ずっと広島で過ごしていましたので、友人など、離れ難いものがありました。 学校の事も考え、この地に住みました。
自分はどこに行ってもやってゆける、大丈夫だと、思っていましたが、無力感を初めて味わいました。孤独でした。

大好きな、詩篇23の「緑の牧場」の教会に導かれました。
国を離れ、ひたむきな留学生の方々を見て、彼らの支えを知りたいと思いました。毎週のメッセージは、養われ、恵まれました。

本当の幸せとは、不幸がない事、悩みや悲しみや病気がない事ではなく、どんな悲惨な中でも、どんな苦しい状況の中でも、 変る事のない神様がおられて、愛していて下さる事、満ち足りた心、喜びと安らぎを与えて下さる事。

幸せとは、神様が共におられる事だと知りました。
これからの私の人生は、神様と共に生きて行きたいと思います。
今日の日まで、随分と長い間、待っていて下さいました、神様、有難う。